下板橋の3畳のアパート代金は18000円だったと思う。住人は俺1人。間借りというやつかな。

仕事から帰ると、建築士受験の勉強をしなきゃあと思いつつ、しなかった。

飲み屋は、板橋駅の近くの、天狗という店に行った。まもなく、北海という名に変わって、今もある。2日に一度?1000円ぐらい飲んで、帰ってきた。

下板橋に大学のテニス部の先輩の岡崎さんがいたんで、会ってお酒をご馳走になった。5歳上の人だ。もうその頃には、自分で工務店をやっていたと思う。

手塚工務店のバイトの後は、下板橋駅の改札のマン前にあった立ち食い蕎麦屋でバイトをした。併設で弁当の寿司屋をもやっていたから、巻き寿司も作ったりしていた。

バイトの仲間が楽しくて、話しては馬鹿笑いしていた。要町にある床屋の主人も、バイトできていた。客が少なかったんだと思う。あと「べっちょおばさん」とあだ名をつけた女性もいた。

居所が分かれば、連絡を取りたいものだが、何もわからない。

早出で、5:00だった。暗い中を行って、焼き芋の屋台が、置いてあって、中を除いて、冷めた焼き芋をくすねて一度だけ食べた。

駅前の朝の立ち食いうどん屋はとても忙しかった。

中に、テニス部の後輩の浅間というのがいて、彼の家に遊びに行って、会った綺麗なお姉さんが改札から出てきて、挨拶した。心惹かれるものがあった。

後年電車に乗っていると、俺に声をかけてくる酔っ払いがいて、「あんたはどこの学生だ?」と尋ねてきた。「東洋大学の川越校舎でした」と答えると、俺は東洋大学事務方だといった。

息子がテニス部だといったので、えっ!と驚いた。浅間のお父さんだった。

またなくお父さんは亡くなったと知らされた。50歳代だろうか!早かった。

バイトは4ヶ月くらいかな?これでサラリーマンが合計14ヶ月だ!立ち食い蕎麦屋は、その後何年か後、駅前整備でなくなった。

写真は南フランスのルールマラン城での切り絵のデモンストレーション!

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