大学は東洋大学の建築学科だ。

4年生時に、オイルショックがあったから、就職が内定していた仲間も、取り消しになった奴もいたと思う。

研究生という形で、学校に残った奴もいた。

俺は、関西に憧れていたから、堺の西田工務店というところが受かったが、行かなかった。

設計事務所に行きたかったからだ。

卒業して、下板橋の駅の近くの3畳のアパートに住み始めて、池袋まで歩いたら、手塚工務店といのがあったので、バイトはないかと入って尋ねた。

3000円で雇われて、6ヶ月ほど働いた。望月さんという、同い年の人の下で、現場の片付けとかしていた。毎日トラックの助手席に乗って、現場に向かった。

建築職人との交流もあった。

現場に青山があった。後年、青山に行くとその現場を覗いたりしたが、もう今は無くなってしまった。あれから五十年近くである。なくなって当然だ。

望月さんとは、交流があったが、しばらくして実家の長野に帰った。30歳代に会ったが、真如会という宗教の勧誘を断ったら、連絡が来なくなった。

バイトとはいえ、サラリーマンだから、まず6ヶ月!

コメントを残す