と父親は言った!
病院のベッドの上だった。「文昭、助けてくれ!」が本当のセリフだった。
94歳の父親だった。自分がこのまま死ぬんだと想像したんだろう。かわいそうだが、正気の父親だった。
一月前に、急に布団から出てこなくなって、実家の同居の兄貴が、様子を見に行ったら、立ち上げがれない!もう駄目だなんて、冗談みたいに言ったようだ。
すぐ、富士吉田市立病院に入院した。俺の壁画(3×7m)がある病院だ。
時々親父の、その言葉を思い出す。
その後親父は、内臓が次々と悪くなり、腎臓が悪化した。それにより、体が浮腫んできて、それによる昏睡状態になった。肺炎も併発してしまった。
そうして、意識不明のまま亡くなってしまった。
俺の23年後の年齢だ。
父親は教師だった。数学の小中学校の先生だった。
教師の息子の典型的な俺である。真面目すぎて、変というやつだ。
それが今の商売上では、多分マイナスになっている。
寡黙な父親で、人生の説教とかはしなかった。頭は学校のことばっかりだったんだろう。趣味は、詩吟、次は、石集め、最後は書道だった。
書道はよくやっていて、富士吉田市の嘱託として、さまざまな富士吉田市の賞状を書いていた。
「安すぎ」と愚痴をこぼしていた。
親父は手が震えるようになってから、書道をやめた。
そんな手の震えが俺にもいつか来ると思っている。
そんな、書道をする父親は、俺の制作態度とよく似ていると思う。

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