テニスをしてなかったら、今の俺はないだろう。

テニスは、考えないと上手くならない。それが分かったのが大学3年の春だった。

一年生の時は、高校まで軟式テニスをやっていたことで、同輩の経験者を抜いて、同学年でNo1になった。

ところが、2年になり、得意だったスマッシュとフラットサービスが出来なくなった。

フォアハンドストロークはまあ普通だった訳で、もう、転落してしまった。

原因はラケットを持つ位置が、自然に変わっていってしまったからだと思う。

なまじ少しバックハンドドライブが出来たから、そちらが良くなる用のグリップの位置に変わっていったんだと思う。

不調になって、考え始めた。グリップの位置、球の当て方を変えると良くなったりすることに気付いた。

ということで、結局、バックハンドドライブとバックハンドボレーが武器になって、4年生になっても、1年生の時の、スマッシュとサービスは戻らなかった。

その理由の一番は、グリップを持ち替えてはいけないという、「基本」があったからだ。

俺はこの基本に振り回された。最後までグリップは持ち変えるものじゃないことを信じていた。

基本を疑う!べきだった。

社会に入っても、基本を疑えというのは常に頭にあった。大したことのない人が、自分の思いつきで、物事に「基本」と名付けて、従わせようとするのは常套手段だ。

物作りにおいて、だから思考を総動員して、基本!でない範疇までチェックして、取り組んでいく!そんな姿勢が必要となる。

紙芝居も今、従来の紙芝居を頭においてはいない。芝居、あるいは話芸だと思っている。

お客が食い入るように見惚れる!そうありたい!

そのための「芸と自分」を磨きたい!

そして、今もテニスで、テニスのミステリーを解き明かそうとする衝動を抑えられない!

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