当然、この言葉は明治期に、岡倉天心が作った言葉だったと思う。

格式ばった、偉いんだ、崇高なんだというような響きがある。庶民的な言葉な感じがしない。

江戸期には、芸にはそんな響きはない。歌舞伎だって出し物の中にコマーシャルを入れて、スポンサーからお金をもらっていた。

明治期になって、全ての芸事が、文明開花で人工的に価値を上げた。

文豪なんてのが現れたりして。西洋の油絵が、価値があり、水彩とかは安く見られたりして。

映画時代に、小説、絵画、書家、音楽家がそのピークを迎え、映画の衰退と共に、文豪みたいな大家もいなくなった。

もう、アートの世界で、日本ではスターが出なくなった。絵画ではいるんだろうか?

かつては徹子の部屋から出たアーティストがいた。今の蒼山日菜は、オスカープロダクションに所属して徹子の部屋に出て来たから、かつての徹子の部屋の鈴木プロデューサーが、足で回って、アーティストを探したのとは違うアーティストだ。

黒柳徹子さんは、芸人のプロデュースには興味なさそうだし、鈴木プロデューサーが亡くなった後、芸人は視聴率が取れないからと、テレビ局はやめてしまった。

今度はテレビが衰退し、更にアーティストが、表に出にくくなった。自力でSNS を使って自己宣伝しないといけない。

ただ、絵画に関しては、日本人が価値判断を持ってないから、良い作品が評価されるかわからない。

いよいよ、アートは日本は文明開花以前の江戸期の庶民的なアートのポジションに戻りつつあると思う。

しかし、江戸期にはお金持ちがいた。

今の日本はどんどん金持ちが少なくなって、パトロンがいない。江戸期は豪奢な着物を中心にアートが、工芸の中に使われてきた。

だが、その着物に変わるはずの、Tシャツの無地や、文字だけのを着ている人を見ると、工芸の世界も、アートが入る余地がないのかと感じる。

日本人の芸はどうしたらいい?

手間のかかった工芸アートはもう無理なのかもしれない。れれないれない。れれないれない。

来年1/4〜8の川越市立美術館 市民ギャラリー展

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