明治維新の文明開花で、ヨーロッパを真似て、芸能を崇高なものと持ち上げられたものは、滅びはしないもののの、発展はしない。

その症状が150年過ぎた今現れている。

絵はその代表の一つである。

美術が重んじられたのは、戦国時代なのかもしれない。手柄を立てても与える領地がなくなり、その代わり、刀や焼き物、屏風とかを与えた経緯がある。

この習慣は、俺の親の代の戦前まで続き、名主が小作に調度品をあげたりしていた。

この当時は、作った人の名より、いただいた人の名のが自慢だったかもしれない。

美術が振るわない、芝居、小説も振るわない、これは本来の定位置に戻ったのかも知れない。

元々需要がなかったが、教養のための努力が支えてきた。

そうは思えないだろうか?

これからまた、河原乞食が現れて、一世風靡する時代が来るかもしれない。

思えば、テレビでコネで実力もないのに出てくる現象が長らく続いた。

蛇足だが、いずれ政治家もYouTubeて喋れないと当選しない時期が現れるだろう。

もう、コネでの仕上がる時代ではなくなる。もちろん、努力して人と繋がり、のしあがる人はいるだろう。

だか、のしあがってもテレビのような急激なものではない。

そんな中での、百鬼丸の動きだ。

楽しみだ。

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