男である。美術評論家であるが、活動は多岐にわたる。

彼の文章を若い時代に、美術手帖で見たんだと思う。難解だった。

俺の若い時代は、難解な文章が流行っていたというのもあるのだろう。難しい文章がもてはやされていたと思う。

読まされた俺は、これを理解できないと美術を理解出来ないんだと、美術が崇高なものだと感じて遠のいた。

この人たちのように難しく文章を書く一派のせいで、俺のような人間が、遠のいたのである。愚かな人たちである。美術を広めようとする職業の人間が、美術を狭くしていたのである。

(俺の大学の建築の先生に原広司という人が、俺が入学する前に居た。俺はこの人の「有孔体何ちゃら」という本を買って読もうとしたが、難しくて分からなかった。最近の話だか、俺の大学の研究室の先生と会食した時に、この話が出た。原氏と先生は同僚であったわけだが、その本の刊行にあたって、難しく書いた方が売れると、難しく書いたようである。原とはクズな先生だと思った。俺は、建築をやめた。建築は俺にとっては訳のわからないものだと思ったからだ。

建築はそんな難しいものではない。)

しかし、俺は美術家になった。俺はそんな小難しい美術から背を向けた。だから分かりやすい絵を描いてきた。

現代アートなんて大嫌いだ。お袋は「この絵は何を言いたいでー?」と展覧会に来て、チンプンカンプンなのを嘆いていた。

しかし、ヨシダヨシエさんが崇高な暮らしや、交友をしていたと思ったら大間違い、俺を始め、ほとんどの人は離れていった、と思う。

俺は同じ町内に住み、親しく交流していたからよくわかる。

ものすごい知識だったが、社会性はほとんどなかった。

晩年の彼のパーティーに出たが、参加したのは、彼の名に憧れていた、素人の方々ばかりだった。同業者からは嫌われていた。(アッシーくんをしていて、美術評論家が集まる場面に遭遇し、誰とも話をしないヨシダヨシエを目撃している)彼を慕っているプロの美術家が誰もいなかったのである。

言いたいことは、難しい言葉を使って文書を書く人に、振り回されないで欲しい。

そんな人ほどろくな人ではない。

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