百鬼丸が学生時代は、やたら難しかった。

何が難しいかといったら、難しい言葉を使った文章、言葉が氾濫していた。

それは絵画でもあったかもしれない。視覚言語なんて言葉もあった。絵を描いて、その中に思想的な言葉を感じ取れる絵だということだ。

俺はその被害者だったかもしれない。難しい言葉を理解できないと、人間が劣っていると思ったからだ。

今でも馬鹿になれない奴は馬鹿!みたいな、エリート意識があるのかもしれない。いつも馬鹿になれなかった俺は、コンプレックスを持った。

難しい言葉で話す人もめっきり少なくなった。それでいいと思う。

小説でも、演劇でも、絵画でも、音楽でも、映画でも難しくして、高尚な高みに置いたら、俺の頃なんかと違い、もう辛抱せずに、背を向けてしまうだろう。

時代は、とても優しくなったが、小うるさい人も増えた。人が優しいのにつけ込んで、言ってくるわけだ。

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